陰キャラは堂本剛を目指せ
性格の陰か陽は選べなかったとしても
陰キャラが路傍のゲロか月夜に輝き人を魅了する月になるかくらいは選べると思うんです。
最近陰キャラ、陽キャラという人の性格を表す言葉が流行っている。
陰キャラは暗い、ネガティブ、ジメジメしている、根暗
というなんとも残念なイメージだ。
一方陽キャラは理想というか模範的な人間像になっていて、ポジティブ、明るい、カラッとしている、友達が多い、近づきやすいといったところか。
特に信仰はないのだが先日悩み相談の一環として寺の坊さんを頼った。寺は無料で悩み相談に乗ってくれた。寺はどこも無料で相談に乗ってくれるはずです。
その坊さん曰く、「今の日本を覆っているようなお金を稼ぐとか大きいとか友だちが多いとか、明るく元気こそが素晴らしいという風潮はキリスト教的な価値観によるものだ」
とおっしゃっていた。
歴史はよく知らないが、確かに日本人が昔から根が明るいというイメージはない。
日本人のイメージは慎ましく、謙虚で、自分の意見は大きく主張せず以心伝心でお互いを何となく察し、製品はコンパクトなサイズに改良するというまるで西洋的な価値観とは真逆の文化に包まれている気がする。
そういえば昔から学校へ行けば徒競走で一位とか運動ができて、友達が多いとかそんなことばかりが持て囃されてきた気がする。
社会に出ようとすれば体育会系が就活で重宝され明るく元気で色んな人達とコミュニケーションが取れる人が黙々と作業に打ち込む人よりは分かりやすく美味しいポジションについている気がする。
お金を沢山稼いで友だちが多くて運動が出来て恋人が出来て結婚してとかそういう人生観ばかりが最高のように教えられてきた気がする。
本当にそうだろうか。確かにそういう社会なんだからその理想に向かって頑張るのが楽という意見もわかるが誰もが出来るのだろうか。
そして所謂陰キャラは陽キャラの引き立て役にしかなれないのだろうか。
俺は違うと思う。改めて俺は陰と陽の定義についてまとめたい。
東洋思想の話になってしまうが俺自身もネットでちょろっと調べただけだし話した所で伝わるかどうかも危ういので割愛する。
物事には陰と陽があって本来どちらが良いとか悪いとか無い。
陰
静、女、夜、月、収縮、秋冬、闇、冷たい、地、裏、空間、死、融合、軽い、防御的、水、柔らかい
陽
動、男、昼、太陽、膨張、春夏、光、温かい、天、表、時間、生、拡散、重い、攻撃的、火、硬い
それぞれの言葉に何を思っただろうか。プラスのイメージとマイナスのイメージもある。
確かに陰の方にはネガティブワードが多いように見えるかもしれない。
でも物事は表裏一体。
柔らかい方がいい物質もあれば硬いほうがいい物質もあるし昼だからこそ出来ること、夜だからこそ出来ることもある。
砂漠では火よりも水がありがたい。
陽が良いからといってスマホは熱いままで良いだろうか。
攻撃的な人は近寄りやすいだろうか。
そもそもあなたは喋りまくれる人についていけるだろうか。
物事は陰と陽が上手く中庸の状態を保ったときが理想の形になる。
人の好みも誰もがワチャワチャしたような人が好きというわけでもない。
光が差すところに陰は出来るもんだし、本来陰と陽は割り切れるものではない。陰と陽のシンボルを見れば分かるけど黒のマークに小さな光があるし、白のマークに小さな闇がある。
本当はどっちが良いとか無い。
自分が足が早くなくても、顔が良くなくても、性格が暗くても何であれまず出来ないことは出来ないと受け入れる所から始めたほうがいいんじゃないかと感じている。
何か1つ誇れるものさえ見つけてそれを磨いていければ良いんじゃないか。
そんな感じがする。
太陽が目指せなければ月を目指せばいい。
月は太陽と違って空を明るく照らすことは出来ないが、直視出来て幻惑的で魅了される人も多い。暗くても素敵だ。
人で言うならKinKi Kidsの堂本剛だ。
彼は元々ネガティブで繊細で過去にパニック障害を患い辛い時期を過ごされたそうですが、才能を遺憾なく発揮し今では日本人なら知らない人はいない素晴らしいアーティストの一人として活躍されています。
ネガティブでも良いんです。
陰キャラか陽キャラか月か太陽か
多分人は選べないと思うんです。
でも陰か陽は選べなかったとしても
路傍のゲロか月夜に輝き人を魅了する月になるかくらいは選べると思うんです。
太陽のような明るい人になれないなら月のように人の心を落ち着かせ慎ましくとも魅力的な月のような人になれたら幸せなんじゃないかなって思うんです。